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私が福岡から関西に出てきてから、父と旅行する機会が増えた。



2009年7月 皆既日食ツアー@中国の蘇州の近くの海上

2010年7月 黒部・白川郷バスツアー

2012年4月 京都旅行

2013年8月 伊勢・高野山旅行



いわゆる「反抗期」と言われる中学・高校の時期、父親と一緒にいる時間が極端に少なかったせいもあって、きちんとした(?)反抗期がなかったように思う。

※中学の時は父が単身赴任しており、高校の時は私がバレーボールのために寮に入っていたため。


そのせいか、父親に対する嫌悪感とか、拒絶とか、全くない。




今でも覚えている唯一の「反抗」と言えば、高校進学の時のことだ。


私は行きたい高校(A校とする)があった。

A校はバレーボールの強い私立高校だったが、勉強のレベルはさほど高くなかった。
けれど、福岡の選抜合宿で仲良くなった他校の友人がそのA校に行くと聞いていたこともあって、歴とした理由はないが、とにかくA校に行きたかった。はっきりとは覚えていないが、A校からのスポーツ推薦ももらっていたと思う。

母は反対した。高校卒業後、私に大学に進学してほしかった母は、A校だと進学よりも就職している人が多い実績からB校を勧めてきた。B校は、これまで練習に行ったことがあり、その練習のキツさを知っていたため行きたくなかった。また、他校の友人たちもB校に行くと言う子はおらず、仲間がいないのも嫌だった。



ある夜、家族で夕食をとっている時、進学の話になった。


私は、父と母に「A校に行く」と言った。

母は「B校にしなさい」と言った。
たぶん、その理由も話してくれたと思う。

それでも私は拒んだ。



すると、それまで黙っていた父が


「A校に行くなら行け!でも一切応援はしない!!」


と怒鳴った。



私は泣いた。
どうして自分の人生を親に決められないといけないのか、と悔しかった。

だけど、B校に行くことを決めた。
いや、その時はB校に行く選択肢しかなかった。



その後、A校に行くと言っていた友人は地元の公立校に行くことになったと聞いた。
選抜で一緒だった友人たち数人がB校に決めたと言うことも聞いた。

そうして、B校でのバレーボール生活が始まった。



両親は私の試合を応援に全国駆け回ってくれた。

現金な父は、私が3年生となり試合に出るようになったら、応援に来だした。



3年でのインターハイ、国体予選が終わり、大学進学の時期となった。


先輩が遺してくれた功績のおかげで、私は広島大学に入学することができた。
2つ上の学年の先輩が、広島大学への道を開いてくれたのだ。


父が唯一怒鳴ったあの一言がなかったら、私の経歴はおそらくない。

そして父は今の私を応援してくれている。



もう大人なんだから好きなことをしたらいい、と。



大人になって、父と旅行したり、対等に話したり、もちろんケンカもしたりする。

幸いにも、父はまだ元気で、仕事もしている。

だけど、今年で60歳の還暦を迎える。


自分の父親が60歳だなんて。
昔の感覚では60歳はおじいちゃんだった。

でも父は孫がいないから、おじいちゃんではない。


それがいいのか悪いのかは置いとくとして、
60歳でも仕事をバリバリ出来る元気な父に感謝しつつ、
できるだけ長く父の相手をしてあげようと思う。


そして、私の生活に安心してもらえるように、たくさん仕事をしなくちゃ。
そう遠くない未来に結婚をして、孫を見せてあげられるようにしなくちゃ。

この世にたった一人の父を大切にしなくちゃ。




当たり前のことだけど、記しておきたいと思ったから。




たかしま まりお
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プロフィール

まりお

Author:まりお
「“フリ”ライター」高島まりおです。

気になる方へインタビューし、記事を書いていきます。
その他、面白いこと、楽しいこと、興味あることを中心に、綴っていきます。

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「フリライターまりおの取材してるふり。」

イベントと記事(ブログ)連動していますので、こちらも是非チェックをお願いします。


目指すは…Sex And The Cityのキャリーブラッドショー!

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