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私、音楽家

音楽家ブログ用


 
 僕は音楽家だ。

 曲を作り、演奏する。時に歌う。

 そういうと人は「シンガーソングライターですか?」と聞いてくるが、違う。カタカナ表記にすればカッコいいと思っている連中が多すぎる。そんな安っぽい言葉で言い表すことのできない仕事なのだ。

 僕は「音楽家」だ。愛を表現することに生涯を捧げる、誇り高き音楽家だ。
モーツァルトもベートーベンも、名を馳せた音楽家はみんなそうだった。

 音楽家たるもの、どんな状況においても、いつだって新しいものを生み出そうとする力が働くようになっている。例えそれが、危険な状況であっても、極上の快楽を感じる場でも、痛みを伴う時でも、関係はない。僕の脳内スクリーンに五線が波のように現れ、音符がその間を泳いでいく。彼らは自分の居場所を見つけると、そっと腰を下ろす。そのとき僕は夢と現実の間で彷徨っている感覚だ。やがて意識がはっきりしてくると猛烈な勢いでペンを走らせ、気づくと楽譜を完成させている。

 僕は今、ワンルームマンションの一室で、鉄の首輪を掛けられ、それが鎖でつながれている。その鎖は部屋の柱に巻かれ、南京錠が掛かっていて取れない。6畳の部屋から僕は出ることができない。ただし、食事は1日2回与えられている。ご丁寧に、紙とペンも用意されている。つまり、生命の危機に脅かされる環境ではないし、音楽を生み出すこともできる。この生活が始まったのは1週間ほど前からだ。よく考えてみれば死ぬわけではないし、この生活を受け入れてみることにした。この危機的状況であっても音楽を作り続ける自分に、やはり音楽家としてこの世に生を授かった自分を改めて認めたのである。
 しかし、人は慣れるものである。3日目くらいにはこの状況に慣れ、逆に何も生まれなくなっていた。

 そこで僕はかつての刺激的な経験を思い出そうとした。28年間生きてきて、僕の人生はどんなものだったか。人は死ぬ直前に走馬灯のように人生が駆け巡ると言うが、もしかしたら人はどうにも時間がありすぎる場合にもスローモーションで人生を振り返っていくのかもしれない。

 そして、刺激的な経験として思い出すのは、いつだって、愛、つまり女性だ。

 初めて付き合ったのは、大学生のとき、同じ音楽科だった2つ上の先輩。彼女の名前は「愛」といった。愛をモットーにして生きる音楽家の僕が、彼女に運命を感じずにはいられなかった。僕はピアノ、彼女はバイオリンが専門で、僕が作った曲を二人でよく演奏した。曲のテーマはいつだって愛だ。愛と共に、愛を奏でる。こんな時間が永遠に続けばいいと願っていた。
 彼女はとても自立した女性だった。「私はこう思う」「私はこうしたい」と意見を主張する姿は、まさに現代女性のアイコンそのものであった。明確な考えを持ち、伝え、行動に移せ、しかもバイオリンの腕もある彼女が、日本に留まっているはずもなかった。卒業すると同時にヨーロッパへ旅立っていった。旅立つ前に彼女は僕にこう言った。

「私はあなたが好き。でも私には夢があるの。だから私はあなたと別れるわ。」

 若かった僕に引き留めるすべはなく、受け入れるしかなかった。彼女への思いは溢れ、悲しみに打ちひしがれている間に、3曲書き上げた。悲しみとは対照的に、どの曲も迷いのない、鮮やかな旋律を奏でていた。


 人は忘れていく生き物でもある。半年ほどで立ち直り、次の「愛」を探しだした。

 次に付き合った女性はバレエダンサーで、「舞う」「彩る」と書いて「舞彩」といった。彼女の踊りを見て、まさに名前の通りだと思った。彼女も同じ大学の学生であったが、舞台によく出ていて学内では有名だった。音楽とバレエは切っても切れない関係にある。舞彩と出会って、僕は彼女が美しく舞うための曲を作った。管楽器を使った無限の広がりを感じるような壮大な曲が多かった。
 一方で彼女は、所有欲の強いタイプだった。舞台では「私のダンスだけを見て」を言ったし、いろいろと曲を書いていると、「もっと私の曲を作って」とねだった。また自分の持ち物に対しては、強い執着があった。僕の家に半同棲で暮らしていたが、ある日冷蔵庫に入っていた彼女のジュースを飲んだら、鬼の形相で怒られた。「私のジュース、勝手に飲まないでよ!」と。僕はとにかく平謝りして、ジュースを買いに行ったが、その怒りはしばらく鎮まらなかった。彼女の持ち物を無断で使うことが許されず、どんどん豹変していく彼女に恐れを感じていた。遂に、僕の家であるにも関わらず、部屋を線引きし出し、「私の部屋に勝手に入らないでね」と言うようになった。もちろん距離は広がっていったし、彼女への愛は薄れていった。その時期はやたら変調の多い曲ばかりを書いていたように思う。
 彼女の内面を知ると、どんなバレエも安っぽいものに見えた。当面の家賃を前払いし、僕の家だったが、僕が出て行った。


 大学を卒業して、ピアノの講師などをして生計を立てるようになった。次に付き合ったのは、そのピアノ教室の生徒だった「美恵子」。美しさに恵まれる子と書く。しかし彼女はとりたてて美人ではなかったし、これと言って秀でた特技もなかった。彼女は自分の名前が好きではないようで、僕に「みい」と呼んでほしいと頼んだ。そう呼んでいるからか、彼女の気質なのか、彼女は猫のような女性だった。そばにいたかと思うと、いつの間にかいなくなる。居ても立っても居られなくて必死で探すと、何事もなかったかのように部屋にいる。近くにいるとき彼女は「もっと私を見て」「私を愛して」と甘えてくる。そのギャップに僕は飲まれていった。特に彼女のおねだりの仕方は異常にうまかった。天性の駆け引き上手なのか、彼女の求めるものを与えないと一生この手で抱きしめることはできないのではないかという不安に駆られるのだ。だから彼女の欲しいものは全てあげた。でも、いつの間にかいなくなって、「私を捕まえて」と挑発してくる。その繰り返しだ。
 彼女がいなくなって不安な夜には声にならない叫びを書き連ね、曲がいくつでもできた。しかし自分が無理をしているのは分かっていた。僕の心が悲鳴を上げ始めていることも。彼女を失いたくないから、聞こえないふりをしていたけど、気持ちも、そして金銭的にも限界が来た。僕は部屋の鍵をこっそり変え、彼女との連絡を一切絶った。やはり彼女が戻ってくることはなかった。


 僕は愛に疲れていたから、しばらく愛を休んだ。そして、実社会とも距離を置いていた。もちろん音楽とも離れていた。

 ある日、僕の状況を心配した学生時代の友人が、知り合いが出ているからとライブに誘ってくれた。そこで歌っていたのが今の彼女である。彼女の歌声を聴いたとき僕の体に電流が走った。僕の作るメロディーと彼女の発する声は間違いなく合う、そう確信した。ライブ後、彼女を紹介してもらい、連絡先を交換し、何度か会ううちに付き合うことになった。彼女は絶対音感を持っていて、僕の作った曲を一回聞くとすぐに歌うことができた。愛の傷を癒してくれたのは、やっぱり愛と音楽だった。僕は彼女の家に入り浸り、思いつくままに曲を書いた。彼女は歌手として一本立ちしていたから、忙しく飛び回っていた。曲を作ることと彼女を支えること、これが僕の生きる糧となっていた。
 ただ、彼女は少し独占欲が強いところがある。まず僕の女友達の連絡先をすべて消されてしまった。彼女は留守から帰ってくると僕のスマホを見て怪しいやりとりがないかチェックをする。着信があるとそれが誰かを確認する。仕事中でもLINEを送ってきて、1時間以上返事がないと電話をかけてくる。それでも僕は全く平気だった。彼女が家で僕の曲を歌ってくれるだけで、幸せを感じられた。僕は、彼女の歌声に惚れたのかもしれない。でも、よく考えてみたら、それもそのはずだ。

 彼女の名前は、真実の音と書いて「真音(まいん)」というのだから。


-ガチャ

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プロフィール

まりお

Author:まりお
「“フリ”ライター」高島まりおです。

気になる方へインタビューし、記事を書いていきます。
その他、面白いこと、楽しいこと、興味あることを中心に、綴っていきます。

月一でインタビューイベントを開催しています!
「フリライターまりおの取材してるふり。」

イベントと記事(ブログ)連動していますので、こちらも是非チェックをお願いします。


目指すは…Sex And The Cityのキャリーブラッドショー!

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