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捨てること


捨てることは、難しい。


例えば、洋服。



すぐ捨てられるからと買ったはずの
ファストファッションの服ほど重宝して、
タンスの中で我が物顔で居座っている。


いつかまた、いつかまた、と、
長らく会ってない友人に送るメールの社交辞令のように、
結局タンスの中で眠ったままのやつも多い。



いつも、に、なるから、捨てられない。

いつか、は、ないのに、捨てられない。



捨てることは、難しい。


例えば、賞味期限切れの食品。



腐りかけが美味しいらしいと、
誰かが教えてくれた情報が邪魔して、
冷蔵庫で幅をきかせている。


消費期限じゃないからあと1週間は…
と思っていたら半年過ぎていた例はキリがない。



もったいない、から、捨てられない。

もう食べない、けど、捨てられない。




捨てることは、難しい。

例えば、甘え。



中毒性のあるチョコレートのように
食べた分だけ、その身を重くしていく。


熱して溶かされた水飴のように
最初はその温かさが心地よくても
気付いたら動けないほどに固められている。



自分で立ってるつもりなのに。

自分の道を歩いてるはずなのに。




捨てることは、難しい。

例えば、プライド。




長い間かけて出来た地層のように、
一見、歴史を物語っているふりをする。


垢のように身体中にこびりつき、
いつの間にか皮膚のようになっている。



壊せば、消えるはずなのに。

洗えば、落ちるはずなのに。






捨てることは、難しい。



それが、


重たいからなのか。

大きいからなのか。

大切だからなのか。

怖いからなのか。



何でも入るゴミ箱を、
誰か私の前に置いてください。

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私が福岡から関西に出てきてから、父と旅行する機会が増えた。



2009年7月 皆既日食ツアー@中国の蘇州の近くの海上

2010年7月 黒部・白川郷バスツアー

2012年4月 京都旅行

2013年8月 伊勢・高野山旅行



いわゆる「反抗期」と言われる中学・高校の時期、父親と一緒にいる時間が極端に少なかったせいもあって、きちんとした(?)反抗期がなかったように思う。

※中学の時は父が単身赴任しており、高校の時は私がバレーボールのために寮に入っていたため。


そのせいか、父親に対する嫌悪感とか、拒絶とか、全くない。




今でも覚えている唯一の「反抗」と言えば、高校進学の時のことだ。


私は行きたい高校(A校とする)があった。

A校はバレーボールの強い私立高校だったが、勉強のレベルはさほど高くなかった。
けれど、福岡の選抜合宿で仲良くなった他校の友人がそのA校に行くと聞いていたこともあって、歴とした理由はないが、とにかくA校に行きたかった。はっきりとは覚えていないが、A校からのスポーツ推薦ももらっていたと思う。

母は反対した。高校卒業後、私に大学に進学してほしかった母は、A校だと進学よりも就職している人が多い実績からB校を勧めてきた。B校は、これまで練習に行ったことがあり、その練習のキツさを知っていたため行きたくなかった。また、他校の友人たちもB校に行くと言う子はおらず、仲間がいないのも嫌だった。



ある夜、家族で夕食をとっている時、進学の話になった。


私は、父と母に「A校に行く」と言った。

母は「B校にしなさい」と言った。
たぶん、その理由も話してくれたと思う。

それでも私は拒んだ。



すると、それまで黙っていた父が


「A校に行くなら行け!でも一切応援はしない!!」


と怒鳴った。



私は泣いた。
どうして自分の人生を親に決められないといけないのか、と悔しかった。

だけど、B校に行くことを決めた。
いや、その時はB校に行く選択肢しかなかった。



その後、A校に行くと言っていた友人は地元の公立校に行くことになったと聞いた。
選抜で一緒だった友人たち数人がB校に決めたと言うことも聞いた。

そうして、B校でのバレーボール生活が始まった。



両親は私の試合を応援に全国駆け回ってくれた。

現金な父は、私が3年生となり試合に出るようになったら、応援に来だした。



3年でのインターハイ、国体予選が終わり、大学進学の時期となった。


先輩が遺してくれた功績のおかげで、私は広島大学に入学することができた。
2つ上の学年の先輩が、広島大学への道を開いてくれたのだ。


父が唯一怒鳴ったあの一言がなかったら、私の経歴はおそらくない。

そして父は今の私を応援してくれている。



もう大人なんだから好きなことをしたらいい、と。



大人になって、父と旅行したり、対等に話したり、もちろんケンカもしたりする。

幸いにも、父はまだ元気で、仕事もしている。

だけど、今年で60歳の還暦を迎える。


自分の父親が60歳だなんて。
昔の感覚では60歳はおじいちゃんだった。

でも父は孫がいないから、おじいちゃんではない。


それがいいのか悪いのかは置いとくとして、
60歳でも仕事をバリバリ出来る元気な父に感謝しつつ、
できるだけ長く父の相手をしてあげようと思う。


そして、私の生活に安心してもらえるように、たくさん仕事をしなくちゃ。
そう遠くない未来に結婚をして、孫を見せてあげられるようにしなくちゃ。

この世にたった一人の父を大切にしなくちゃ。




当たり前のことだけど、記しておきたいと思ったから。




たかしま まりお

おまたせ


「おまたせ」



って言葉、いいなと思う。



先日、駅の階段の前を歩いていると、左斜め前方から男性が近づいてきて、


「おまたせ」


と言った。


私は携帯をいじりながら歩いていたので、自分に言われたと思って、
とてつもなくビックリして顔を上げたら、右斜め後方の女性に言っていたと気付いた。


考えてみると、「おまたせ」という言葉は大抵嬉しい場合が多いはずだ。
特に、異性の場合はなおさら。

何かを待っているということは、期待している場合が多いからだ。


私はギリギリで行動するタイプの人間で、待つより、待たせる方が多いので、
「おまたせ」は言われるより、言う方が多いかもしれない。


「おまたせ」を言った時、相手が嬉しくなるような人間でありたい。


くれぐれも待たせ過ぎには注意しなければならない。

そして、待たされたとしても、笑顔でいられる寛容な心を持たなければならない。





たかしま まりお

勝負


勝負したい。


と最近思う。


つまり勝ち負けが明確に出るスポーツがしたいと。


小学校からバレーボールを始めた私は、長いこと勝負の世界で生きてきた。
大学生まではバレーボールが人生の8割を占めていたと言ってもいい。

大会のためにほぼ毎日練習し、勝って喜び、負けて悔しんだ。
チームメイトとの考えの違いに悩み苦しみ、たくさんの涙を流した。

地元福岡で社会人をしているときも9人制バレーボールで県大会で優勝を狙っていた。
夏のシーズンにはビーチバレー男女混合4人制で九州各地の大会で上位を目指していた。


勝つ喜び(特に優勝)を追い求め、マッチポイントを迎えたときの高揚や安堵感は何物にも変えがたい。

だがしかし、負けを認識したときの(マッチポイントを奪われたときの)、恐怖にも近い絶望感や虚無感もなかなか味わえるものではない。


人生は勝負かもしれないが、スポーツで体験する


「あなたは勝ちました」

もしくは

「あなたは負けました」


と言うあまりに明白な結論を叩きつけられる機会は、日常にはない。


自分がスポーツで勝負できるとしたらバレーボールなのだろうが、今はたぶんすぐには出来ない。
(取り戻すのにかなりかかると言う意味で)

それでも、またやってみようかなとも思うほど飢えている感じがする。



最近、サッカーとか、水泳とか、プロの世界で勝負する選手たちを見ているから思うのかもしれない。



私は、自分が選ばなかった道なのに、そこにいたらどうしてただろうと考えてしまう。


羨ましいのかもしれない。

負けたくないのかもしれない。



複雑な気持ち。



勝負してぇ~!



たかしま まりお

家探しと引越しと恋愛と。

友達が引越しをすることになった。

私のように必要に迫られてではなく、2年住んだから…今の家、湿気が多いから…という理由で。


(私は友人の親から部屋を借りていて、その部屋を売ることになったので引っ越すしかなかった。必要がなければ今もそこに住み続けていただろう)


以前、こういう話を聞いたことがある。


「引越しができる人は、離婚もできる」


この説にはわりかし同意できる。



引越しには莫大なエネルギーがいるからだ。

家を決めること、荷物を整理し、大量に捨て、段ボールに詰め、(業者が)運び、荷ほどきをする。
新しい家の家具の配置を考え、荷物を片付け、足りない家具を買い、新しい環境に慣れる。


そして離婚は引越し以上のエネルギーがいると思う。(離婚は引越しも伴う場合が多いし)
物理的な苦労だけではなく、精神的にもダメージを伴うことが想像に難くないからだ。

だが、行う「作業」としてはとても似ている感じがする。


引越しが苦にならない人、もしくは自らが選んで引越しする人、
さらには引越し好きと公言する人なんかは、離婚もさらっとやってのける人だと思ってしまう。


私にとっては、どちらも煩わしいものだ。


私は引越し経験者として(あくまでも仕方なくね)思うことは、もう引越ししたくない。
だから、今の新しい家は結構気に入っている。私は依存するタイプなのかもしれない。



一方、私の友達はよく引越しする。知っている限りで5年で3回はしている。
そして驚くほど決断が早い。家を決めるまで、たった2週間ほどだった。


私は家を決めるまで2ヶ月くらいかかったし、不動産会社は3つ回ったし、20部屋以上内覧した。

なぜ時間がかかったかは明確だ。
予算・広さ・間取り・駅からの距離・築年数・設備(セキュリティ、空調など)・・
どの条件もそれなりに良いものを求めたからだ。

そして、いよいよ不動産会社の人に
「優先条件を整理して下さい。でないとあなたの予算では全てを満たす部屋はありません。
 私だって出来るだけお客様のご希望のお部屋をご紹介したいのですから…。」
とまで言われた。
何かを選び、何かを捨てろということだ。今、私は決断を迫られている。
隣はカップル、反対隣には学生とその母が座る不動産会社のカウンターでひとり、考えに考えた。


苦渋の決断で選んだトップスリーはこれだった。

1.広さ、2.間取り、3.築年数



このときなぜか私は、自分の恋愛がふと脳裏を過ぎった。


条件を捨てられない、希望を曲げられない私。


男性を見る(つまり選ぶ)とき、

顔は好みだけど、年齢が…とか、
身長は高いけど、真面目すぎるな…とか、
話は面白いけど、ファッションが…とか、

マイナスの条件を見つけるとシャットアウトしてしまう傾向がある。
ものすごく高望みなわけじゃないのに、細かいところが気になってしまう。


これが高望みっていうのだろうか?


だから家探しと恋愛がリンクした。

家は自分の持つ予算よりもレベルの高いものを求めていた(不動産会社によると)。
これは、恋愛においても自分のレベルよりも高いものを求めている(自覚はないが客観的に見ると)ということになるのではないか。


家探しにおいて、結局何を妥協したかと言うと、
「予算」と「駅からの距離」である。


人に当てはめると、どの条件になるだろう。


広さ→身長
予算→年収
間取り→顔
駅からの距離→家族構成
築年数→年齢
設備→性格


こんな感じであろうか。
私は、「年収」と「家族構成」を妥協した…ことになる。
貧乏でも顔や身長や年齢を取るという、ヴィジュアル至上主義の女だ。
(あくまでもこの見解で言うと)



一方、友達は家を決めるのが早いので、恋に落ちるのも早いということになるが、
私の知っている限りそうでもなさそうだ。一つ言えるのは、ヴィジュアル至上主義ではない。

ただ、「引越し=離婚」については彼女も同意していて、
まだ結婚もしていないのに、「私は離婚できるタイプ」と明言していた。


今までの考察を参考にして当てはめてみると、
私は家探しと同様、恋愛に至るまでは時間がかかりそうだ。
さらに、ヴィジュアルが何よりも大事ということになる。
しかし、引越しは好まないことから、恋愛したら依存するということになる。

なんと嫌味な女だろう・・・
なんと面倒くさい女だろう・・・



この考察が正しいかどうかは、恋愛をしないことに立証できないが。




たかしま まりお
プロフィール

まりお

Author:まりお
「“フリ”ライター」高島まりおです。

気になる方へインタビューし、記事を書いていきます。
その他、面白いこと、楽しいこと、興味あることを中心に、綴っていきます。

月一でインタビューイベントを開催しています!
「フリライターまりおの取材してるふり。」

イベントと記事(ブログ)連動していますので、こちらも是非チェックをお願いします。


目指すは…Sex And The Cityのキャリーブラッドショー!

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